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東京地方裁判所 昭和48年(行ウ)108号 判決

原告 久保田フク

右訴訟代理人弁護士 仲田晋

右同 豊田誠

右同 岡田克彦

被告 飯田橋労働基準監督署長 野口弘毅

右指定代理人 小沢義彦

〈ほか二名〉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

被告が原告に対して昭和四五年三月三日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付および葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文同旨。

第二当事者の主張

(原告)

一  亡久保田惣治郎(以下亡惣治郎という)は、大同塗装工業株式会社に工事部長として勤務していたが、昭和四四年八月二一日、大日本塗料株式会社東京支店会議室において、同社のほか日本鋼管株式会社、大日本化学商事株式会社、東洋特殊塗料株式会社の五社が出席して開催された「昭和四四年度日本鋼管鋼製プール施行に当りその契約及施行工程上の報告検討会」(以下本件会議という)の席上、大同塗装を代表して発言した直後の同日午後三時四六分ころ蜘蛛膜下出血により死亡した。

原告は、亡惣治郎の妻であって、同人の葬祭を行ったものである。

二  原告は、昭和四五年一月二一日被告に対し亡惣治郎が業務上死亡したものであると主張して、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付および葬祭料の各支給を請求したところ、被告は、同年三月三日原告に対し、亡惣治郎の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとの理由で右各保険給付の支給をしない旨の処分(以下「本件処分」という)をした。

原告は、本件処分を不服として、同年五月四日東京労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、翌四六年三月五日同審査官はその請求を棄却する旨の裁決をした。

原告は、更に同年五月一〇日労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は昭和四八年四月二八日その再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

三  本件処分は、亡惣治郎の死亡が業務上の事由によるものであるにもかかわらず、これを否定したものであるから、その判断を誤った違法がある。

よって、原告は被告に対し本件処分の取消を求める。

《以下事実省略》

理由

一  請求原因一、二の各事実は当事者間に争いがない。

右争いない事実によれば、亡惣治郎が、業務遂行中に蜘蛛膜下出血により死亡したことは明らかであるが、右蜘蛛膜下出血はそれ自体業務上のものとは言い難いので、問題はその発症が業務に起因するかどうかの点にある。

ところで、労働者災害補償保険法による障害補償給付等を受け得る業務上の事由による労働者の負傷又は疾病等(以下業務上の傷害等という)とは、業務との間に相当因果関係をもって発生したものでなければならないが、ここにいう業務上の傷害等が被災害者の既往の素因もしくは基礎疾病又は既存の疾病が条件又は原因となって発生したと認められても、業務的要因がこれらと共働原因となり当該傷病等が発生し又は既存疾病等が急激に増悪し、かつその間に相当程度の因果関係が認められる限り、当該傷病等は業務上のものと認定されるべきであると解するを相当とする。

《証拠省略》によれば、亡惣治郎の死亡原因は、蜘蛛膜下出血であるが、それは右中大脳動脈、後交通枝内頸動脈よりの分岐点における大豆大の瘤の破綻によるものであること、右動脈瘤は、発生学上の一種の奇型というべき先天的な異常(病変)により生じたものと推認されること、同人は享年四七歳であったことの各事実が認められる。

ところで、動脈瘤の破綻は、はっきりした誘因なくいわば自然発生的にこれが増悪して破綻する場合のほか、強度の肉体的過労あるいは精神的感動等による一過性血圧亢進が罷患血管に悪影響を及ぼして生ずる場合もあり得ることは周知のことである。従って、亡惣治郎においてどのような条件のもとに動脈瘤の破綻が生じたのか検討することを要する。

二  まず、原告は、亡惣治郎は、いわゆる中間管理職としての地位にあり、その職責上精神的疲労や肉体的な過労に陥りやすい立場にあったと主張する。

《証拠省略》によれば、亡惣治郎は、昭和二七年大同塗装創設と同時に塗装職人として入社し、昭和四〇年ころ取締役に就任したが工事部長を兼務して現業の業務を統轄するいわば中間管理職の地位にあったことは認められる。

しかし、このような職責にあるというだけで動脈瘤の破綻を生ぜしめるような強度の精神的・肉体的疲労が重なるとは言えない。問題は、亡惣治郎の具体的な行動にあるというべきである。

そこで、本件事故に至るまでの亡惣治郎の職務遂行状況について検討する。

《証拠省略》によれば、次の各事実が認められる。

1  亡惣治郎は、工事部長として工事現場の視察、工事関係者らとの打合わせ等の監督業務のほか人工・資材の確保、段取り、手配等の現業の事務をも統轄し、大同塗装が施行する塗装工事を一切管理統轄していた。

大同塗装における勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時三〇分の八時間と定められていたが、職人らを所定の作業開始時刻に間に合うよう各現場に派遣する必要上、亡惣治郎は、右始業時間以前においても必要があれば工事業者との連絡や作業上の具体的な指示、差配等の事務をすることもあった。

2  本件発症に至る二か月間の亡惣治郎の勤務状況は、別紙勤務状況一覧表のとおりである(《証拠判断省略》)。

なお、右一覧表「勤務内容」欄記載の「社内」および「出張」とは、大同塗装の社規に基づく勤務区分を示すもので、これによれば東京本社から一〇〇キロ以上出た場合は「出張」扱いとされ、それ以内の場合は例え社外で執務しても「社内勤務」扱いにすると定められていた。

ところで、七、八月ころは、丁度、大同塗装が請負っていた鋼製プール(これは、昭和三九年ころ、日本鋼管が、開発販売しているもので、大同塗装は、その塗装に関する工事について請負、施行していた)の塗装工事が輻輳する時期であり、そのため、亡惣治郎は、右一覧表記載のとおり、右工事に関する視察、打合わせのための出張を重ねていた。加えて、このころは、梅雨等の影響により塗装工期が遅延することも多く、標準仕様に従った工事の完成と納期に追われ、工事管理には一層の努力が要求される時期でもあった。しかしながら、亡惣治郎は、日ごろから現場職人や下請業者らと緊密な接触を保ってこれらを掌握していたこともあって、その差配や段取りにおけるトラブルもなく、この間の工事も比較的順調に進んでいたようであった。

3  亡惣治郎は、昭和二五年以来家族を静岡の自宅に残しての別居生活を続けており、本件発症当時は、資材置場を兼ねている大同塗装の寮で単身起居していた。三度の食事は、寮において用意されていたが、時には現場職人や下請業者らと飲酒をともにすることもあった(ただ、同人は、積極的に酒を飲むという方ではないし、又酒量も多い方ではなかった)。

本件発症に至るまでの間、亡惣治郎の健康状態に格別の異常も見受けられなかったし、又、自ら何らかの不調を訴えていたこともない。勤務状況も平素と何ら変わるところがなかった。

以上の事実によると、亡惣治郎は、七・八月にかけて出張を繰返している。このころは、丁度、鋼製プールの塗装工事の輻輳期にあたり、そのため、出張の頻度も他の時期に比して多かったであろうことが窺われないわけではない。しかしながら、この間の出張は、いずれも二ないし三日程度の日程で、工事視察、現場での打合わせ等の業務を行うことを主たる目的とするものである。そうであるとすれば、これらは工事部長としての一般的な通常の業務であると思料され、それ自体質的あるいは量的に過激な業務であったとはいえない。ただ、鋼製プールの塗装工事については、予め定められた仕様に従った塗装を行うことが義務づけられていたが、梅雨等の影響から工程が遅延することもあり、そのため工事促進と仕様に従った工事完成について腐心する状況にあったが、亡惣治郎は、適切な差配等によりこの間の工事も比較的順調に進捗せしめていたようである。亡惣治郎は、右出張の日以外は、社内あるいは都内・近県において一般監督業務に従事していたし、又、一応所定の休暇もとっていたのであって、この間時間外労働を強いられる等過重労働あるいは異常な勤務遂行を強いられたという形跡も認められない。ところで、同人は、時折、勤務時間外に現場職人や下請業者らと飲食をともにすることがあったが、その度を越すということはなかったようであり、これにより同人の健康状態に異常が生じたということもない。又、長年家族と別居し寮生活を続けていたが、このような生活状態が、同人の健康に何らかの負担となり、悪影響を与えたということも認められない。

以上のとおり、亡惣治郎は、工事部長兼務取締役というかなり責任の重い、従ってそれなりに心労も多い仕事に従事し、極めて誠実にその職責を勤めていたといえる。しかしながら、同人の年令、大同塗装における勤務時間および経験度、職務内容、本件発症に至るまでの健康状態等を総合すると、同人にとってその職務が身体的・肉体的にさして負担となっていたとは考えられないし、又、本件発症までにその勤務により量的ないし質的に過度の身体的・肉体的努力を強いられ、強度の疲労が蓄積していたとも認め難い。

三  亡惣治郎は、昭和四四年八月二一日大日本塗料株式会社東京支店会議室で行われた「昭和四四年度鋼製プール施行に当りその契約及施行工程上の報告検討会」の席上において蜘蛛膜下出血を起し死亡するに至ったものであるので、右報告検討会の状況について検討する。

《証拠省略》によれば次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  本件会議は、毎年一回鋼製プールの工事が一段落するころ後記関係五社が一同に会して行われるもので、その趣旨は、その年度の鋼製プールの工事施行状況の報告と実際の工事施行からくる問題点を報告し、互いにこれを検討するものである。又、この会議は、例年議事録等を作成しないし、発言も比較的自由になされる等懇談会的なものであった。

2  ところで、鋼製プール工事は、日本鋼管が発注者との間で請負契約を締結し、日本鋼管工事株式会社が施行工事にあたるが、塗装に関しては大日本塗装の製品を使用する仕様となっているため、同社の塗料を販売している大日本化学商事が塗装工事関係の管理を行い、下請の塗装業者が塗装工事を施行していた。大同塗装は、右塗装請負業者の一として東北、関東、甲信越地方から名古屋地方までの塗装工事を担当していた。

3  本件事故当日の本件会議の進行状況は、次のようであった。

本件会議は、日本鋼管株式会社、大日本化学商事株式会社、東洋特殊塗料株式会社、大日本塗料株式会社、大同塗装工業株式会社から合計二三名の関係者が出席して昭和四四年八月二一日午後二時ころから大日本化学商事の持田次長の司会のもとに開かれた。各出席者の紹介に始まり、九州地区から順次契約関係や工事施行に伴う問題点の報告があり、逐次検討がなされた。

そして、名古屋地区における塗装の管理状態等についての報告があった後、大日本化学商事から静岡地区(当時鋼製プールの発注の最も多い地区の一つであった)の塗装工事の施行概況、防錆状況、塗装施行の不備欠陥等に関する指摘・説明がなされた。そして、その際、日本鋼管、大日本化学商事の出席者から「鋼製プール施行監督にあたっているが、工事が遅れて工期どおりに塗装工事にかかれないで困る場合がある。工事施行にあたり各業者と打合わせをするが、業者が我々の言うことを聞かず施行がやりにくい」等との発言があった。その後、亡惣治郎が発言を求め、「塗装に関しては、標準仕様が決定されておりこれに基づいて施行するよう義務づけられている。しかし、塗装は他の工事が終了した工程の最終段階に行なわれるものであり、この間の工程の遅延により塗装工事施行にかなりのしわ寄せが来る(ことに、六月は降雨日が続く日が多く遅延が目立つ)。従って、右標準仕様に従った責任ある施行ができるよう無理な契約を締結しないとともに工程の遵守等管理体制を考えてもらいたい。」「当社としては、頭を低くして各業者間との打合わせを密にしているから比較的順調に工事が進行している。ダイニッカおよび各同業塗装業者は頭を低くして打合わせを密にすればよい。」等と五ないし七分程度の発言をし、自席に着席した途端、うつ伏せになって倒れた。

4  亡惣治郎は、同日午後三時四五分ころ倒れ、直ちに救急車を呼び医師の診察を受けたが、約一〇分後には死亡した。

以上の事実によると、本件会議は、鋼製プール工事の施行状況の報告と、塗装工事施行上の問題点を互いに検討することを目的とするもので、その過程で塗装工事の遅延・瑕疵等に関する事実の指摘、報告があったことは認められる。しかしながら、これらの諸点に対して元請業者ら側から具体的な督促・批判が加えられ、場合によっては徹底的な原因究明ひいては契約責任の追求等という現実的な議論がなされた形跡はないし、又、本件会議自体このような応酬を目的としたものではないから、緊張を強いられるような状況で議事が進行していたとは考えられない。亡惣治郎の発言も工事の遅延・瑕疵等の指摘に対し弁解、反論するというものではなく、むしろ元請業者らに対して工程管理上の善処方を要望し、下請業者との疏通をうまく図る等すれば円滑な工事施行ができると自分の体験談を紹介し他の関係業者に適切な管理を示唆する内容のものであった。従って、それ自体亡惣治郎が、日ごろ工程管理について抱いていた不満を表明したものであったとしても、特に激しい精神的緊張あるいは興奮に陥っての発言であるとは窺い得ないのである。又、本件会議の内容、雰囲気、進行経過からみても特に興奮するような状況下にあったとは認められない。

従って、本件会議の席上、亡惣治郎が激しい精神的緊張に襲われ、その結果本件発症を来たすような血圧亢進が惹起したとは認められない。

四  以上の事実を総合すると、亡惣治郎について、本件発症の起因となるような一過性の血圧亢進が惹起したと推認させるような強度の精神的あるいは肉体的緊張、興奮、負担を認めることはできない。そうであるとすれば、本件動脈瘤の破綻は、亡惣治郎が有していた基礎疾病たる動脈瘤が自然発生的に増悪して破綻するに至ったもので、それが偶々本件会議の機会であったと解するのが相当である。従って、亡惣治郎の死亡を業務上の事由による死亡と解することはできないとした本件処分は相当であり、他に本件処分を違法とする事由も見出し得ない。

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 星野雅紀)

〈以下省略〉

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